netuの日記

大学生の現役塾講師の日常を綴るブログです。

「ドラゴン桜」を久しぶりに見た。教育の役割とは。

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教育関係者としては外せない漫画であろうが、

ドラマは、漫画とは設定がかなり違っているのでまた楽しめるのではないかと思っている。

 

ドラマ「ドラゴン桜」を見て改めて考えたこと

 

教育をどうとらえるかはその人次第だが、

この漫画を見ていると、やはり志望校に合格させることが第一であるように感じる。

人間的な成長などはそのための手段でしかない。

 

結局は結果を出さないと話にならない。

いくら教師が人間的理想を語ったところで、

究極的にはその人のエゴでしかない。

たとえ人間的に成長できたとしても、何らかの分野で結果を出さなければ意味がないということになってしまう。

この世は資本主義社会であり、競争社会であるからには、勝って勝って勝ち続けていかなければならないからだ。

 

人間的理想なんて個々人によって異なるに決まっているし、そもそも、人間が人間を教育するのだから、完璧でない人間が、その人間のなってほしい人物像に教育するのでは、まさに中間層が中間層を再生産する話になってしまう。

 

 

僕も、自分の理想を生徒に押し付けていた感が否めない。

気付かされた。教育を勘違いしてはいけないのだ。結局は生徒の志望校に受からせるしか方法はない。われわれ教師はそのために全力を尽くすしかないのだと。

結局は今の教育では直接的には勉強をできる人間を作ることしかできないようになっているのだ。だって勉強を教えているのだから。特に受験勉強なんて言うものはその最たるものである。科目ごとに試験があってそれを受けさせられる。それは誰でも変わらない。そういうものなのだ。

 

ただ、試験形式の違い、問題形式、出題内容の違いで、ある程度、人間を選別することを大学側はしている。つまり、大学がどのような人材を求めているかを試験問題は体現している。これは、ドラマの中でも言われていたことだ。

ドラマでは、このように言及されている。

東大は、余白に書き込みはしないこと。と書いてある。

あわてているとこういう注意書きを読み飛ばす。検算を書いてその科目すべて落とす人間もいる。

ルールを守ることが一番大事だといってもいい。

世の中の人間は大きな勘違いをしているが、

ルールを守る人間こそ、独創的で個性的な人間なのだ。近代科学であてずっぽうの研究で成果を出した人間はいない。みな基礎研究を理解し、その学問におけるルールを順守したうえで個々の研究を進めている。ルールの順守なしに研究の成功はありえない。

と、言及している。

 

ドラマの軽い感想的な

 

さてさて、

愚かな龍山高校教師たちを見て、

ああはなりたくないなあと思うとともに、

そんな愚かな者たちがいるからこそ、

山下智久阿部寛らが演じる東大受験派に光があてられるのかなあ、

とも思ったりするのだ。

 

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ガッキーも出演しているが、

今となっては清純派のイメージがついた彼女も、

香坂よしのや、「ギャルサー」時代の新垣結衣もそれはそれでかわいいなとも思ったりするのだ。

 

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なんというか、桜木が貧乏という設定は嫌味な性格というものを緩和するために設定されたような気がする。

だって、あんな合理的で世の中の本質をついていて成功していない人がいないはずないじゃないですか。

要は、庶民に向けて設定をやさしく変更してあるとでもいうか。

 

井野先生は典型的バカ教師だったと思うが、後半は予備校にいる美人チューターのような立ち位置を獲得している。髪をおろしたほうがかわいいよね。長谷川京子

 

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