tamutenの日記

塾講師はやめました。今はプログラマーやってます。

中学時代の俺

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中学一年。

晴れて希望の私立中学に入学した俺は、そこでの新しい生活に胸を膨らませていた。

だが、それはすぐに打ち砕かれた。

勉強ができるっていう自分のアイデンティティーが通用しなくなったから。

人の上に立ちたい、立っているのが小学校の時は当然だった。

でも総務委員をやる勇気はなかったので、

掃除のグループのリーダーをやってもいいよみたいな感じで言ってみたら、

ちょい悪なやつに「はあ!?」って言われてそれで終わり。

授業はつまんない。

休み時間は携帯でゲームする。

あんまり楽しくなかった。

でも、自分から面白くしようっていう気概や行動力は持ち合わせていなかった。

 

学校が遠くて、バスに30分くらい乗ってなきゃいけなくて、

バスに乗ってる時間は、とにかく、早く最寄りのバス停につかないかずっとそれしか考えてなかった。

 

あとは外面を結構考えていたような気がする。

鞄の持ち方とか。電車の中でのふるまい方とか。

そのころからこれはダサいダサくないとかはなんとなく考えていた。

 

あとはゲームが大好きだった。

家にあったポケモンと、

中学受験が終わったあとに叔母のくれた、スーパーファミコンで遊び倒していた。

学校にゲームもっていってやればよかったんだけど、

教師に没収されるのが怖かったのと、

なんか単純に勇気が出せなかったのがある。

クラスメートがポケモンで対戦とかしてて、

「いいなー俺も対戦したいなー」って思ってはいたし、

何も頼んでないのに自分だけ対戦するつもりになって

ポケモン育ててみたりしていた。

結局育て終わったころにはクラスのポケモンブームは去っていた。

 

そして基本面倒くさがりなので、

作業とか仕事とかはやりたがらなかった。

~係とか~委員とかあったけど、仕事がめんどくさくないとか、やらなくてもいいものを選んでいた。

楽だから。

中学1年の時に学校の別荘で合宿があったのだが、

そこでついたあだ名は、「見守る○○君」。

見守ってるだけで何も手伝おうとしないからだ。

いまでも仕事は面倒だ。

お金が発生しない限り、あるいはそれ相応の見返りがないとやりたくない。

 

男子校だったので、他校の女の子、特に高校生の女の子にあこがれてました。

電車でたまに遭遇するので、チラ見してました。

それを気づかれて、その女の子たちにからかわれたり。

 

昼休みの時間は、

食べるのが遅かったのであんまり休めなかった。

早弁するような勇気もなかった。

めちゃくちゃ良い子ちゃんで居ようとしていたからね。

時間が余った時は、図書館に行くことが多かったです。

友達と絡むみたいなことも苦手だったので。

図書館ではズッコケ三人組とか読んでましたね。

基本読みやすい本しか読みませんでした。

固そうな小説なんかには手を出したことはありません。

 

友達関係は微妙だった。

それなりに仲良かった人間はいたが、いつも喧嘩してる仲の人間もいた。

クラスが変わったら、交流することも

ほとんどなくなっていった。

他のクラスに行くような行動力がなかったから。超小心者だったから。

 

そして当時の俺はプライドが高くてキレやすかった。

基本的に俺はキレると人に殴りかかるのではなく、モノを壊しにかかった。

チキンだから。モノだったら反撃されないから。

 

家でも、情緒不安定で、特に勉強しろと押し付けられるのがとても嫌で、

でも反抗や拒否の仕方がわからなくて、

とにかく泣きながら、家の中のものを荒らしまくって暴れまくることしかできなかった。

今は亡きじいちゃんをそれでケガさせてしまったこともあったなあ。本当に申し訳なかった。

 

中学3年の時に起こした事件

 

でも、まだ家の中だけだったからよかったすよ。

中3の時に事件は起こってしまったのです。

冬、3泊4日のスキー合宿がありました。

その最終日の夜。

運動がからっきしダメな俺はスキーでもその特性を十分に発揮して、

転びまくり、くぼみにハマりまくり、それはそれはストレスたまりまくりました。

気分も最悪、早く帰りたいなと思っていた矢先。

 

普通夜は部屋移動とかして友達と遊ぶものですが、

とことん受け身だった俺は友達作りも受け身。

自分によく話しかけてくれる人間としか話しませんでした。

自分から知らない人間に話しかけることはなかった。

部屋移動してあんまり親しくないやつらもいるところに行くのは気が引ける。

そんなチキンなので、俺は割り当てられた部屋で寝ようとしていました。

でも、クラスのうるさいやつらが俺の寝てる部屋で騒ぎ出すのです。

部屋を移動すればいいのですが、やっぱりそれもできません。

ましてや文句を言う勇気もありません。

 

結局目をつむって耐えるしかありませんでした。

でも、そのうちの一人が俺の携帯をいじりだしていろいろケチをつけるのです。

でも、「やめてよ」っていう勇気が出ません。

ナイーブな俺は深く傷つきました。

もう、耐えられませんでした。

 

俺はまず、電気を無理やり消しました。

でも、すぐにつけられました。

すでにめちゃくちゃ我慢していて、

もう内心はらわた煮えくり返っていた俺は最後の手段に出るしかありませんでした。

その部屋は和室だったのですが、

 

要は、ふすまを渾身の力で蹴りまくったのです。

ふすまには大穴が空きました。

 

さすがに俺の常軌を逸した行動にそやつらもビビったようで、俺を寝させてくれました。

でも、朝になって、事が教師にばれるとその場では宿の責任者の人に俺が謝るという形になりました。

その場はそれで済み、帰宅したのですが、

その後学校で俺はキレてふすまを蹴り破った男として有名になってしまいました。

周りの生徒の目が怖くて仕方がなく、俺に聞こえるように嫌なことを言う人間もたくさんいました。

ますますうつむいて学校生活を送る羽目になりました。

 

ちなみにふすま代は弁償という形になり、

それを俺が全部払うか、皆で分けるかでまたもめました。

それもこの事件の後味が悪くなった要因の一つです。

ついでに、毎年行われていたこのスキー合宿は僕の代をもってなくなりましたとさ。

宿の方がNGを出したそうな。

 

この事件でキレてモノを壊すと取り返しのつかないことになるとようやく気づいた俺は、

もう絶対にキレないと誓いました。

 

まとめ

 

基本受け身で、自分から動こうという気にならなかったので、

不満をただただ言うだけの奴でしたね。

そりゃつまんないだろうよって思います。