tamutenの日記

塾講師はやめました。今はプログラマーやってます。

欲と感情と本能に従って生きればいいんじゃない?

この記事をシェアする

好きな時に好きなことをする。

というか、本能に従って行動する。

これほど、幸せなことはないのではないでしょうか。

 

眠りたい、と思ったときに寝れる生活。

セックスしたいって思ったときに、女が横にいる生活、あるいはすぐに風俗に行ける生活。

食べたいと思ったときにご飯を食べれる生活。

これほど素晴らしいものはないと思います。

 

人間なんだから、動物とは違うんだから、人間は高尚な生き物なんだから、

自分を律しないとダメだ。みたいに言う人いるんですけど。

っていうか、僕の親がそうなんですけど。

 

いいよ。そんなの。

少なくとも俺は実家でだらだらできる身分だし、仕事も特にしてないんだから、

何かを強制されたり、自分の欲望に反することをする必要なんてないんですよ。

 

それに人間だってしょせん哺乳類ですよ。

動物ですよ。

基本的には生物学に乗っ取れるものなんですよ。

 

なに、勝手にわけのわかんない高尚さ求めて、

自分の人生を生きづらくしてるんすか。

金が欲しいならそれでいいじゃないですか。

僕は好きな時に好きなことができる、好きなものが買える金が欲しいです。

堀江貴文さんの『我が闘争』を最近読んでるんですけど、

引用しますね。

堀江さんも、眠れないときに吉原とか川崎の風俗に行ってたんですって。

 

外食なんか本当に稀で、早朝の3時か4時まで仕事をして、「あー腹減ったなー」となった時に、六本木ロアビル前の寿司屋「びっくり寿司」でベトナム人が握る寿司を食べたり、今のミッドタウンの辺りにあった焼肉屋「叙々苑」でビールとともに肉を流し込むくらいだった。 お腹を膨らませたら、外苑東通り沿いにあるゲームセンターによって、会社に帰って寝る。すぐには眠れないな・・・という時は、車を飛ばして川崎や吉原の風俗まで出かけることもあった。 堀江貴文我が闘争』2015年 幻冬舎

 

それくらいのノリで吉原行けるようになりたい。それくらいの経済力がほしいと思いますね。

 

なんか、学生とか、

勉強しなきゃだから、ゲームを遠ざける、とか。いらないと思うんすよ。今は。

我慢できない人は我慢しなくていいと思うんすよ。

所詮それで悩むことなんて、対人関係の悩みじゃないですか。

テストでいい点とって周りに自慢したいとか、そういうもんでしょ?

俺もそうだったし。

それで自慢できて楽しかったら、勉強頑張ればいいし。そうじゃなければやらなくていいっすよ。

 

んで、俺ってもう嫌なことは我慢できない体質になりました。

例えば、大学の勉強。

特に椅子に座って机に向かってする勉強は嫌で嫌で仕方ないんで、

やろうとしても、なんかもう、できないんですよ。

体が受け付けないというか。

図書館とかカフェとか行っても、スマホとか全部家に置いてきても、一ミリも勉強できない。

だから、もう無駄だと思ってやらないようにしました。

勉強は移動時間とかに音声で聞いてやります。

中国語の試験とかそれで突破しました。

耳で聞いて、しゃべって、終わり。

まあ、他の科目は全くと言っていいほど、勉強しなかったんで、

単位足りませんでしたけどね。

だから来期は興味の持てる授業とりますね。

 

なんの話だっけ。

そう、人間は高尚なものでは決してないんですよ。

過ちも犯すし、

でもやり直せる。

宗教とかいらないっすよ。人間は弱いから、欲を絶ちたいからとか言って入信するんだと思いますけど、

欲には従ったらいいじゃないですか。自ら人生を生きづらくする必要ないですよ。

楽な方に楽な方に身を任せればいいんですよ。

 

今の楽しさに全力を注げばいいじゃないですか。

 

この文を読んで気が楽になったんすよ。

 

水が低きに流れるように、自然に身を任せる。 僕が生きていく上での一つの信条のようなものだ。 どうも世間での僕は、欲しいと思ったものはどんな手を使ってでも手に入れる、強引、強欲な人間と思われているところがあるけれども、実のところ、僕の中にはそんな強固な意思や執着は存在しない。 大切だと思っているのは二つだけ。力を抜いて流れに身を任せること。そして目の前のことにひたすら熱中すること。そうしていれば人は、いつの間にか、自分たちが在るべき場所に辿り着くことになる。 僕が起業するまでの経緯を振り返ってみても、まさにそう。その時々の時代の流れや、自分の感情に素直に従った結果、僕は会社の社長になっていたに過ぎない。 『我が闘争』より

 

以上です。