tamutenの日記

塾講師はやめました。今はプログラマーやってます。

4年生で2回の留年を果たし、迎えた就活3年目の物語。

f:id:tamuten310:20160901020449j:image

4年生で2回の留年を果たし、迎えた就活3年目。

 

僕には自信があった。過去2回の就活の経験という自信が。 

エリート志向の人間からみたら鼻で笑われるような内定先かもしれないが、

曲がりなりにも内定を獲得してきた過去があるからだ。

 

面接には自信があった。だって、嘘をつかず本音を話せば良いだけだからである。

僕にはもう行きたい業界があった。

そう、教育系、しかも学習塾、予備校である。

 

とはいえ、そこ一本に絞るのはまだ納得感がなかったので、

教育、人材、コンサルの3つを受けることにした。

 

人材はなんとなくかっこいい。そんなイメージがあった。リクルート、インテリジェンスなどなど。かっこいいイメージがあって受けたが、どこもダメだった。

僕が受けた人材系の企業では、エントリシート通過後の選考は、グループディスカッションであることが多かったが、

 

まぁー、通らない通らない。悲しいくらい通らない。

リクルート、インテリジェンス、テンプスタッフマイナビ。全部落ちた。残念。

さらにアビームコンサルティング。エントリシートもテストセンターも通ったのに、ワークショップ型の選考でノックアウト。

 

結局、グループディスカッションある会社で、最終まで残ったのは、総合キャリアという会社だけ。ここはなぜか思った以上に選考が進んだ。

だが、結局学習塾の内定を貰っていたこともあり、辞退した。

 

 

コンサルは結局のところあまり受けなかった。

 

グループディスカッションの極意は僕にはわからない。誰か他の人に聞いて欲しい。

 

どのように内定したか?

 

内定したところはあっという間に選考が終わった。正味40分程度の選考だったのではないだろうか。

 

一次面接はほぼ採用担当者が一方的にしゃべるだけ。見た目をチェックされたぐらいか。

 

最終面接は、社長を含む役員勢揃いの面接だった。わずか15分程度。聞かれたことは、

  • 学習塾のなかで、なぜウチを選んだのか?
  • あなたの長所を活かして、ウチで働いた時にどういう風に貢献できるか、1分程度でプレゼンして下さい。

この2つだけだったような気がする。

 

面接の前に準備したことは、

  • 「会社でやりたいこと」、「自分ができること」、「その理由」をパッと答えられるように整理しておいたこと。
  • 学習塾なので、見た目は真面目な感じで。

 

社長が第一印象で僕のことを気に入ってくれたようなので、とても有利に事が進んだ。

質問にも準備通り答えたので問題なかった。

なぜウチを?の質問には、答えられるよう説明会で説得力のあるものをピックアップしておくことだね。

幸い、参加者が僕を含め2人だったので、とてもアットホームで質問しやすい雰囲気でよかった。

 

 

新海誠監督作品「言の葉の庭」を見た

f:id:tamuten310:20160831030925j:image

「君の名は」の公開記念で、

 

新海誠監督作品の1つである「言の葉の庭」を見た。

 

久しぶりに一気見してしまう作品に出合った。

僕だけがいない街」以来かもしれない。

 程よく短編作品でよかった。

 

こういうある場所で出会う。

偶然出会う。

そんな男女の恋の物語というのはひきつけられる。

 

現実にそんな出会い方をしたいなと思うものだが、

なかなか自分の訪れる場所に若い女性はいない。

 

いや、いないってことはないな。

僕はよく書店に訪れるが、たまに魅力的な女性に遭遇することは往々にしてある。

でも、それが出会いにつながることはなかった。

 

結局、積極的に自分から女性に声をかけなければ出会いを引き寄せることはできない。

そういうものなのだ。

 

モテる男たちはナンパをしている。

それが僕の認識だ。 

 

 

さて、本編の感想に戻るが、

主人公は、靴を作ることが好きで、それに命をかけているような高校生活だ。長期休暇はバイトをし、材料費や将来進学するための学費を貯めているそう。

そんなにしてまで、のめりこめる何かが欲しいなと、こういう物語を見るたびに思うのだ。羨ましいなあと。

 

 好きな女性を守るために喧嘩だってする。

そんな主人公にうらやましくなる。

ああ、僕もこれくらい強い気持ちで守りたいと思える女性と巡り会いたいと。

 

改めて、新海誠監督作品は主人公たちの微妙な心情の変化を描くことに素晴らしく長けているなと感じている。

 

 

「ドラゴン桜」を久しぶりに見た。教育の役割とは。

f:id:tamuten310:20160830002058j:plain

f:id:tamuten310:20160830002022j:plain

教育関係者としては外せない漫画であろうが、

ドラマは、漫画とは設定がかなり違っているのでまた楽しめるのではないかと思っている。

 

ドラマ「ドラゴン桜」を見て改めて考えたこと

 

教育をどうとらえるかはその人次第だが、

この漫画を見ていると、やはり志望校に合格させることが第一であるように感じる。

人間的な成長などはそのための手段でしかない。

 

結局は結果を出さないと話にならない。

いくら教師が人間的理想を語ったところで、

究極的にはその人のエゴでしかない。

たとえ人間的に成長できたとしても、何らかの分野で結果を出さなければ意味がないということになってしまう。

この世は資本主義社会であり、競争社会であるからには、勝って勝って勝ち続けていかなければならないからだ。

 

人間的理想なんて個々人によって異なるに決まっているし、そもそも、人間が人間を教育するのだから、完璧でない人間が、その人間のなってほしい人物像に教育するのでは、まさに中間層が中間層を再生産する話になってしまう。

 

 

僕も、自分の理想を生徒に押し付けていた感が否めない。

気付かされた。教育を勘違いしてはいけないのだ。結局は生徒の志望校に受からせるしか方法はない。われわれ教師はそのために全力を尽くすしかないのだと。

結局は今の教育では直接的には勉強をできる人間を作ることしかできないようになっているのだ。だって勉強を教えているのだから。特に受験勉強なんて言うものはその最たるものである。科目ごとに試験があってそれを受けさせられる。それは誰でも変わらない。そういうものなのだ。

 

ただ、試験形式の違い、問題形式、出題内容の違いで、ある程度、人間を選別することを大学側はしている。つまり、大学がどのような人材を求めているかを試験問題は体現している。これは、ドラマの中でも言われていたことだ。

ドラマでは、このように言及されている。

東大は、余白に書き込みはしないこと。と書いてある。

あわてているとこういう注意書きを読み飛ばす。検算を書いてその科目すべて落とす人間もいる。

ルールを守ることが一番大事だといってもいい。

世の中の人間は大きな勘違いをしているが、

ルールを守る人間こそ、独創的で個性的な人間なのだ。近代科学であてずっぽうの研究で成果を出した人間はいない。みな基礎研究を理解し、その学問におけるルールを順守したうえで個々の研究を進めている。ルールの順守なしに研究の成功はありえない。

と、言及している。

 

ドラマの軽い感想的な

 

さてさて、

愚かな龍山高校教師たちを見て、

ああはなりたくないなあと思うとともに、

そんな愚かな者たちがいるからこそ、

山下智久阿部寛らが演じる東大受験派に光があてられるのかなあ、

とも思ったりするのだ。

 

f:id:tamuten310:20160830002114j:plain

f:id:tamuten310:20160830002121j:plain

ガッキーも出演しているが、

今となっては清純派のイメージがついた彼女も、

香坂よしのや、「ギャルサー」時代の新垣結衣もそれはそれでかわいいなとも思ったりするのだ。

 

f:id:tamuten310:20160830002133j:plain

なんというか、桜木が貧乏という設定は嫌味な性格というものを緩和するために設定されたような気がする。

だって、あんな合理的で世の中の本質をついていて成功していない人がいないはずないじゃないですか。

要は、庶民に向けて設定をやさしく変更してあるとでもいうか。

 

井野先生は典型的バカ教師だったと思うが、後半は予備校にいる美人チューターのような立ち位置を獲得している。髪をおろしたほうがかわいいよね。長谷川京子

 

f:id:tamuten310:20160830002334j:plain

f:id:tamuten310:20160830002339j:plain

 

ポケモンGOやったほうが感性が磨かれるよ!やれ!

f:id:tamuten310:20160828000632j:plain

最近、ホリエモンこと堀江貴文さんがテレビで「学校の勉強よりもポケモンGOやってたほうが良い」と話していた。

news.livedoor.com

堀江貴文さんの発言は常に時代の先を行っていて尊敬するが、今回の発言は僕をはじめ教育関係者には衝撃の発言ではなかっただろうか。

 

要は、これからは学校の勉強で習うようなことは必要なくなる。なぜなら、今人のやっている仕事はロボットにとってかわられるからだ。人間は働かなくても食っていける時代に今後10年くらいで到達していく。

代わりにポケモンGOで培った感性や発想力が必要とされる時代に入っていく。

 

実際に外に出てポケモンGOをすれば、ポケモンがまだ画面の中にしか存在しないことに少し残念になる。これが、現実に外でボールを投げている状態だったら自分はどうなっているか?など、いろいろと想像を働かせることが感性を磨くことにつながる。

 

いろいろ考えたが、堀江さんの発言を自分の中では、最近はそう結論付けている。

 

こんなんじゃ、塾講師なんていらないんじゃないか?って思っちゃうけどwどうしよw

 

そんな僕も子供のころはポケモンで妄想してました。

以下は現在の僕の思考も入っている妄想録です。

 

僕の培った感性、発想力(ポケモンver.)

 

僕が中学生の頃は、ポケモンの世界が現実にならないな、願ったものだった。

つまり、街をでたら野生のポケモンがいて、モンスターボールで自由にゲットできる。各地には、ポケモンリーグに認められた実力者が待ち受けるジムがあり、それを制覇するために旅をする。

旅路の途中、様々なトレーナーに会い、互いに対戦して強くなったり、仲良くなったりする。

僕が小学校5.6年の頃はアドバンス世代(ルビー、サファイア、エメラルド)で、アニメもそのあたりを観ていた。

そこには、バトルフロンティアという、7つのバトル施設とその7つの施設のシンボルを集めるエンターテイメントがあり。

ゲームでは、ホウエン地方の外れの島、アニメではカントー地方に7つの施設が散らばっている、という設定だった。

 

特にアニメのバトルフロンティアの世界観に憧れ、カントー地方を旅してみたいなあ、という風に思うことが多々あった。

仲間とともに、特に、かわいい女の子も連れてw

 他のトレーナーとのバトルに勝って、その賞金で生活するのは弱肉強食の世界であるかもしれないが、野生のポケモンと戦えばよいので問題ない。

ジム戦や、小さなバトル大会、ポケモンリーグやコンテストを制覇すれば、大きな賞金がもらえたりする。

しかし、基本的にトレーナー戦での勝利に対して、相手からお金をげっちするのであれば、負けたトレーナーはお金が無くなる。負けたトレーナーは、お金が無くなったらどこからお金を捻出すればよいのだろうか?普通のアルバイトをしたりするのだろうか。

 

ポケモントレーナーは一種の職業であり、10歳からなることのできる数少ない職業である。おそらく、プロのトレーナーと、趣味でポケモンをやる層というのがあるのだろう。

プロのトレーナーとは、事務リーダー、、ポケモンリーグの四天王、フロンティアブレーン、チャンピオン、そして、チャンピオンなどをめざし、日夜バトルを続け、賞金で生活するトレーナーたちである。

趣味レベルなら、たくさんいるだろう。山登り、キャンプファイヤー、空手王、海パン野郎、ビキニのお姉さん、などなど。

 

また、ポケモン関連の施設で働く者たちも存在するだろう。

ポケモンセンター、フレンドリーショップ、ジムトレーナー、デパート店員、トレーナーズスクール講師、自転車店、ゲームセンター、コンテスト会場、などなど。

職業としては、オーキド博士をはじめとした、ポケモン研究者、ポケモングッズ販売者などなど。

 

ひとつ疑問なのだが、技マシンや秘伝マシンは誰が作っているのだろうか?

 

この中で、ある意味、ポケモン対戦のプロとして生きるポケモントレーナーは、ポケモンが現存する世界において、エンタメを仕事にした典型例であろう。 

 

【ずっとコミュニケーション!?】個別指導・指導ノウハウのまとめ

f:id:tamuten310:20160827064028j:plain

塾講師はかなりコミュニケーション能力を要する仕事だと思う。

 

なぜなら、言葉をかわすたびに生徒の言動だけでなく、表情や行動など、ボディランゲージの面からも生徒を観察しなければならないからだ。

 

いま、ならないといったのは、それができないと講師が務まらないからなのである。

 

授業

 

説明

教えるべきところは噛み砕いて教えよう。

 

これ、はっきり言ってかなり大事な部分の1つだ。ここが上手ければ、生徒に、「わかりやすい」と思って貰える。

 

要は生徒の頭のレベルまで落として説明するということだ。

例えば連立方程式の代入法を説明するとき、

代入というものがわからない生徒がいる。

どこまで戻るかは、その生徒のレベルによるが、

x=4のとき、

x+1=

と例を出す。

これは簡単なので、生徒も余裕で解ける。

 4 +1で5ですよね。と解ける。

(x=5)

 

その次に、

2y=x+4

x=-2yのときxとyを求めよ。

 

こんな問題を出す。

2y=-2y+4

ここまではできた。

でもこれ以降が詰まってしまう。

 

こういうときは、

方程式の単元まで戻って学習させれば良いのだ。

だからわれわれ講師は、生徒がいつ、どの単元を学ぶか、きちんと把握しておかなければならない。

これは、経験すると把握するようになるので、最初は生徒と一緒にテキストをパラパラ見て探しても良いし、他の先生に聞いたりしても良い。

 

その他

  • 最初は例題を生徒と一緒にとけ。
  • そして次は練習問題を生徒にやらせる。(放任)
  • その次は答え合わせをする。
  • それで、間違ったところがあれば、
  • 解答だけ記し、なぜ間違ったかを説明させる。

生徒に練習問題をやらせるのは、これは某塾のやり方のパクリだが、「自分の力でできた」という自信を持ってもらうためだ。

 

なぜ間違ったかを説明させるのは、ドラゴン桜からパクってきた。でも、生徒に客観性を持たせ、考えさせるには良い訓練だと思う。

 

宿題

 

授業でやったところだけ出す。

生徒のモチベーションによって異なるが、めちゃくちゃ出す。

完璧にできるようにする。

 

次の授業

 

宿題やってきたか、やってきてないか。

で変わる。

 

やってきてる生徒は普通に続きから授業。

 

やってない生徒が問題だ。

ここで、頭ごなしに叱ってはいけない。

理由を聞くのだ。ちまちまとコミュニケーションをとる。

 

授業態度に問題がある生徒についてはこちらから働きかけなければならないのだ。

授業態度が良くなるように説得していかなければならない。

 

そのために僕が読んだ本が紹介しよう。「人を動かす」だ

 

 

人を動かす 新装版

人を動かす 新装版

 

 

 

まぁとにかく生徒の話を聞くのである。

とりあえず生徒が納得するまで話を聞き、

こちれも納得するまで話を聞くのでそうやってコミニケーションをとって、信頼関係を築いて、

 

そうなって改めて生徒の生活習慣に問題があればそれは直すべきである。

講師が生徒に指示して直させるべきなのである。

 

以前担当していた高校3年生はまったくやる気がなかった。

授業中ずっと寝ていたので、ある顔を洗ってこいというのだが、してきても、またこくりこくりと寝てしまうのでどうしようもなかった。

勉強もあまりやる気がない、モチベーションがもてない生徒にはちゃんと話をするべきなのである。

 

しかし、当時はどうするべきかわからなかったから、ただ「家で早く寝たら」とかしか言えなくて情けなかった。授業中の生徒が隣で寝てしまうのに、なにもできないというのは、なんとも講師としては悔しいことなのである。

 

今は、どうしても眠い、という生徒には10分間ほど寝てもらうことにしている。顔を洗ったりするよりも、やっぱり、少しでも寝たほうが頭が冴えたりするでしょ?

 

最後に

 

僕は扱いにくい生徒ほど、こちらからコミュニケーションをとるようにしている。

説明のときもコミュニケーション、宿題やってこなかったときもコミュニケーション、いつもコミュニケーションである。

それが塾講師という職業だ。

大学、勉強を楽しまないで何を楽しむ?2回留年した俺が主張する。

f:id:tamuten310:20160826013332j:plain

眠い。。。

ベッドで記事を書いている。

 

さて今日は大学に行く意味、大学で学ぶ意味について話そう。

 

何か目的があって大学に入った者達は大丈夫。

しかし何も目的をもっていないものは遊びに終始する。

 

大学は学問をするところである。

勉強するところなのだ。

 

それを忘れている学生が多いのではないだろうか。

 

まあ僕の主観でしかないが。

 

少なくとも僕は慶応大学に入ったにせよ、

商学部と言うものには全く興味がなかった。

大学は何をするところか?なんてそんなことを考える暇がなかった。

 

受験の時は一橋大学に受かることだけを考えて勉強していた。

だから自分が慶応大学になんて言う事は考えてもみなかった。

学科を自分の学びたい分野で選ばず、

できるだけ入りやすい商学部を選んだということだ。なんとつまらないのだろうか。

 

もし今選ぶとしたら、一橋大学であれば社会学部、慶応大学であれば文学部を選んでいただろう。

なぜならそれは僕が人の心に興味があるからである。心理学を学んでみたいなあという気持ちがある。まぁ僕の話はどうでもいいか。

 

さて大学で何を学びたいかあまり考えず決めた学生、希望の学科に入れたが自分のしたい勉強と違った、思っていたものと違ったという学生、まあそういうこともあろう。

 

でも、まだ学生でまだ転部・転科だって可能である。自分の本当に学びたい事を突き詰めるべきなんだ。

そうしないと僕のように勉強に興味を持てなくなって、2年間も留年してしまう人間がいることを頭に置いてほしい。

学校の勉強が面白くないなんて、とても悲しいしつまらないことなんではないかと思う。

 

学校が楽しかったらどんなに大学生活が楽しいだろうか。

同じことを学びたいと思っている仲間はできるだろう。

そうやって大学生活を楽しんで欲しい。

 

何度でも言うが、勉強だ、勉強があるから遊びがある、勉強があるから友達がある、仲間がいる、教授とも繋がれる。

そうやって極めたことが自分の仕事にできたりするのだ。

 

これからはそういうことを考えて大学選びをして欲しい。

 

僕からの切なる願いである。

「なぜ勉強するのか。」に3つの理由をつけて答えてみた。

f:id:tamuten310:20160824232831j:plain

「なぜ勉強するのか。」

 

この問いは、生徒から時として聞かれるものであると思うし、

われわれ講師も、どのように生徒に勉強してもらうか考えるうえで、

常に頭においていることであるかと思う。

 

私の考えを述べておこうとおもう。

 

それは3つある。

  1. 自分の中で勝ちパターンを見つけるため
  2. 成功体験を経て自信をつけるため
  3. 日本は学歴社会であるため高学歴である人間はそれだけで信用される

 

それでは順に説明していこう。

 

 1.自分の中で勝ちパターンを見つけるため

まず勝ちパターンを見つけるとは、いろいろな分野において成功するために、「何をどうすれば良いかを考える力」を養うと言うことである。

 

たとえば、慶応大学法学部に入るために、英語、社会、小論文の試験を突破しなければならないとして、

  • 合格最低点を取るために教科ごとの得点をどのように配置すればよいのか。
  • 教科それぞれにおいてその点数を取るためにはまずどのような勉強をして、どのように対策をしていけばよいのか
  • 対策それぞれを、試験日から逆算して、どの時期までにどれくらい終わらせればよいのか

このように、考え、実行することがあるではないか。

 

飲食店で売り上げを上げるために

  • どの位置にどの人間を配置するのが最も良いサービスを提供できるのか
  • その配置でそれぞれの人間に成果を出してもらうためにどのようにマネジメントしていく必要があるのか

こんなことを考える必要があるわけです。

 

つまり、ビジネスやスポーツなど、その中で勝っていくための、方法論、ノウハウ、考え方などを手に入れることができるということなのである。

 

まぁそんな話の次に

 

2.成功体験を経て自信をつけるため

 

成功体験の話について説明していこうと思う。

ひとつ上の話に似ているところはあるが、要は努力して良い結果を手に入れた経験があるかどうか、と言う話

もしくは努力じゃなくてもいい、何か勇気を出して、何かを手に入れたと言う経験は何事にも変えがたい自信となるわけです。

 

自信を手に入れれば、他の人の意見なんかに左右されずにいろんなことに挑戦できるようになります。

いろいろなことに挑戦できると言う事は自分が本当にハマれる分野と言うもの見つけることができるんですよ。

それが成功への道なんじゃないかと思います

 

3.日本は学歴社会であるため高学歴である人間はそれだけで信用される

 

最後の学歴社会っていうのは、まぁちょっとまだわかんないかもしれないですし、なんともつかみにくい言葉であるかなぁと思うんですが、要は学歴が高い人ほど勝てる社会ということです。

なぜなら日本人は学歴信仰が強いから。

学歴の高い人ってそれだけで信用されるよね。

それだけですごいって思われるよね。

バカなんじゃないかと思うけど。

ただ勉強してきただけですよ。

何それ別にたいした事じゃないんですよ。

勉強できたからってね仕事できるんですかって話ですからねぇ。まぁそういうことです。

 

でも、ここからが俺の本当に言いたいことだ!よく聞け。

 

勉強と言うのはただの一分野に過ぎない。

それ以外のことで成功すれば、別に勉強を無理にする必要は無いはず。

おそらく学校の勉強をする必要はなくなっているはずである

 

しかし、勉強以外のことよりも、勉強という分野で成功することのほうが簡単なのだ。

何故かと言うと必ず結果が出る種目だからである。受験は世の中で1番平等な競争と言われているからね。まぁそういうことだ。

 

だから、今自分がやっている勉強以外のことで、

それが勉強なんかいらないほど、とてつもなく楽しくて、

それで成功する自信がある、と言うのならばそれをやったらよかろう。

 

しかし、もし今それがないと言うのであれば、勉強を頑張るべきである。

 

世の中の大人のほとんどは勉強をあきらめてしまった人たちだ

 

さて、世の中の人々のほとんどは勉強諦めてしまった人たちなのである。

何故かと言うと僕が慶應に通っていると言うと「すごいねー」とか

家庭教師をやっていると言うと「頭の良い人がやら職業ですね」みたいなことを言われるんですね

はっきりって慶応大学なんて入るの大したことないんですよー。簡単なんですよー。

なのに世の中のほとんどの人は超えられない壁、みたいななんか神みたいな存在で見てくるんですけど、、、

 

いやーちょっとさすがに言い過ぎましたがw

とにかく

「僕には無理ですよー」みたいな

「私には無理ですよー」みたいな感じで言ってくるんですよね

 

でもですね、僕はただ勉強頑張っただけなんですよ。

慶應大学に入るために勉強をした。

それだけで世の中から何か尊敬されるでしょ。

これって何なんですかね。

多分僕を僕が慶応大学に通っていると言うと、

なんか「私には無理です」みたいなことを言ってくる人っていうのは、

勉強諦めてしまって、

さらに他の事でも突き抜けることができなくてどうしようもなくなってしまって、

でも生きているみたいな人なんじゃないかと思うんですよね

つまんないと思います。

そこで何もしなかったために、後悔している人生を歩んでいるかもしれないと言うのは非常にもったいないと思うわけです。

 

勉強がんばっていれば東大一橋京大慶応早稲田みたいな大学に入れてね、もしかしたら一流企業に就職できて、よく言われる安定した生活みたいのが手に入ったかもしんないですよねー

まぁそれが憧れ、それがいい生活かどうか、っていうのはまた別の話ですが、選択肢を減らしてしまったと言うのは事実ですよね。

 

だってそうじゃないですか。例えばサッカーの本田圭佑選手なんかが慶応に行っている大学生見た位ですげーなとは思わないはずですよね。彼の方が凄いんですから